前回の投稿からいとも簡単に1ヶ月半が過ぎてしまった。3月後半から4月頭にかけての騒乱については熱が冷めないうちに記述しておきたいと思いつつ、舌の根も乾かぬうちに4月の下旬からは新たな騒乱を自ら召喚。「騒乱マシマシ」状態に突入し、嵐が過ぎてみればけっこう精も根も尽き果てたよね、という状態になっていたのであった。

さて、私がどんな状態にあろうが世の中は動く。未だ収束しないなんやかんや。いろんなレベルの話がいろんなところで進んでいると思われるので、小市民はできる限りおとなしく自制する日々である。だが、しかし。やはりそんな中にあっても「あー!これがしたーい!!」という欲求は浮かんでくるものであって、でもそれが現実では満たされないためこの場にて発散したく候。

「今、一番何がしたい?」と問われたら、真っ先に答えるのが「風に吹かれてビールを飲みたい」である。「いや、それならベランダだろうが土手だろうが勝手にどうぞ」という向きもあろうが、この文章の前には「東南アジアの生暖かい」がつくのである。そう、「東南アジアの生暖かい風に吹かれてビールを飲みたい」のだ。もう今の願望はこれに尽きる。というか、これしかない。

東南アジアの国を訪れた方はおわかりかもしれないが、あの、空港から出た瞬間に感じる、むうっとしたまとわりつくような熱気。これは東南アジアの国々に独特だよなぁ、といつも思う。長時間のフライト、かつ空港内の冷房で冷えた身体が溶けていくようなあの感じ。「これこれ、あー!きたきた!」と嬉しくなり、そしてそんな熱気に押されるように、とんでもなくペラペラのズボンとてろてろのTシャツ、あるいはえいやっとアッパッパーなんて着ちゃって、靴下なんてとんでもない、サンダルに履き替えて足の指も全開放!「ああ、私って、私の人生ってこんなに自由だったっけ?」と湧き上がる歓びを感じながら、街の喧騒に混じって飲むビールがもう最高なんてもんじゃない美味しさなのである。

特に行きたいのが、お気に入りスポットの1、2位を争うシンガポールの「Clarke Quay(クラークキー)」だ。なんといってもClarke Quayは夕暮れが美しい。「Quay」というのは「川」という意味で、Clarke Quayはシンガポールのすぐ川沿いの地域なのだけれども、シンガポール川は実際のところそんなに美しくはない。だいたい昼間に見ると「えっ」となること請け合いだ。しかし、それが夕暮れになると表情は一変する。川面は深い黒に変わり、川沿いの店や建造物が発する「シンガポールでござい」的な華々しいネオンをキラキラと反射して、えも言われぬ美しさとなるのである。

そんなClarke Quay沿いのお店に入り、店員さんに1パイントのビールを注文する。私がこよなく愛する「Kronenbourg 1664」があればなおさらよい。テラス席でまったりとした風を受けながらビールの到着を待ち、到着したら泡が消えないうちにグラスからぐいっとビールを流し込む。ぷはーっと息を履いて虚空を見上げる瞬間、「あー素晴らしきかな人生」という言葉が頭に満ちる。シンガポール川に映るきらびやかなネオン、幸せそうに食事をする観光客、隣のテーブルで楽しそうに会話を弾ませるローカルの方々、遠く暮らしているであろう家族や友人、なんかもう、みんなみんな、幸せであれ…!という多幸感に包まれるのである。

思えば、海外の雑踏の中で飲むビールは私にとって「自由」の体現なのかもしれない。だから、少々窮屈に思える現在の状況において、より色濃く魅力的に映るのであろう。一言でまとめると「あーClarke Quayでビール飲みてー」となるのだが、その日を夢見つつ、日々のよしなしごとに向き合っていきたいと思う。

昼間は映えないClarke Quay

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