先日、日本でカフェに入った際に店員さんがラテアートを施してくれました。
それがこちら。

 

クマちゃん。

 

つぶらな目にまんまるなお顔。どこからどう見ても正真正銘のクマちゃんです。これを見て「あら、かわいー」なんてはしゃいでいたのですが、そういえば以前にハノイのカフェでもクマのラテアートをしてもらったことを思い出しました。

 

それがこちら。

クマおさん。

 

このなんとも言えない、ゆるさとリアルさが共存している感じ。鼻の下の毛穴の感じとか前髪の感じとか。目はつぶらなんだけれども、その配置によって絶妙な年上感が出ていますよね。しかもたぶん男性。

いやしかし、同じ「クマ」でもこうも違いが出るものかと。まあ、でも今改めてこの両者の違いを考えた場合に、これは単純なテクニック云々の話ではなく、何をもって「可愛さ」とするかという、深い部分での認識の違いなのかもしれないなあと思い至りました。どちらのスタッフさんも、お客さんが「可愛い」と思うであろうものをイメージしてこれらを作り上げています。それはつまり、ご自身が思う「可愛さ」の要素=「イデアの可愛さ」を抽出して詰め込んでいるわけですね。それが両者で異なっている。

日本のクマちゃんは、目が下のほうにあることで幼さが感じられます。つまり日本人にとっては「子どもっぽさ」「あどけなさ」が可愛さにつながる要素だということが考えられます。一方で、ハノイのクマおさんは目が上の方にあり、全体的にのほほんとした癒やし感が漂っています。もしかしたらベトナム人にとっては「子どもっぽさ」は可愛さにつながる要素ではなく「親しみやすさ」「癒やし感」が可愛さにつながるのかもしれません。それゆえ、これらのクマの顔の違いがそのまま、イデアの違いを表しているのかもしれないなと思ったのでした。

と、あれこれ言ってみましたが、クマおさんの方はカップの取っ手が左側に来ちゃっているのも特筆すべきポイントです。右利きの私が飲んだ際には案の定、ちびまる子ちゃんの永沢君みたいになって吸い込まれていきました。

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